保育の研究 第1巻(1996年度)
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最近、幼稚園で保育の話をするとき、一人一人の保育者が輝いて見える。それぞれが、自分の考えや思いを率直に述べあい、お互いの意見を聞きあって話を進めているからだと思う。和やかに穏やかに、しかも真摯に話し合っている。2年前余を思い起こすと、ちょっと信じられない気もする光景である。2年前、私は研究主任として、保育について本音で語り合う場としてのカンファレンスを提案したが、「はじめに」でも述べたように、その当時の私自身の問題意識はかなりはっきりしたものであった。保育についてお互いに語りあうとき、言葉づかいや抑揚など、その表現の仕方にはその人の感じ方や考え方が色濃く反映されている。表現されたものを通して、その人が意識化していないとらえ方に自分で気づき、子どもと自分との関わりを見つめ直し、そこからよりよい援助を探る必要性を感じていたからであった。しかし、当時、あらかじめそのことを理解してもらうのはひどく難しいことのように私には思われた。また、それを前提にすると、こんどはみなの中にそのことへの構えができて、率直な話し合いができにくくなるようにも思われて、あまりはっきりした説明もしないままカンファレンスを始めてしまった。
本音で語り合うことはそうたやすいことではない。お互いに本当の意味で信頼し合えていなければなおさらである。誰かが自分をさらけ出して無防備状態になってしまったときに、それを支えきれる自信もはっきりした見通しも、正直言って私にはなかった。おまけに、反目しあう危険性をはらみながらも、そうなっても逃げだしようがない、毎日顔を合わせざるを得ない状況の中でのスタートは、今から考えれば非常に無謀なことだったと思う。でも、とにかく何か始めなければという研究主任としての使命感だけで、未知の世界へこぎ出してしまった。こぎ出してみれば予想をはるかに超えた荒海で、行く先も見えず、舵取りもままならないままに波間に漂い、仲間に助けられ、力を合わせて、ようやく体勢が立て直せたところである。今、私たちは率直にお互いを表現し合えるようになって、保育者としての自分に向き合い、お互いを支えあうことができるようになってきた。そしてさらに、保育者としての自分を見つめることで、自分でも気づかなかった自分に出会えるようになってきている。それは2年前には予期しえなかったことであり、非常に嬉しい発見である。今後の話し合いを通じて、一人一人が自身の中にどのような自分を見いだし、それが子どもたちとの関わりにどうつながっていくかをともに考えていかれることは、私にとってとても楽しみなことである。
出典:保育の研究 第1巻(1996年度) - コンテンツ担当者・著者
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お茶の水女子大学附属幼稚園 桝田正子・田中三保子
- 論文・教材本文
- 【目次】 保育の研究 第1巻(1996年度)
- 関連情報
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