第4学年「てつがく創造活動(てつがく)」学習指導案「「自由」―聴く・応える・わかちあう―」(2024年度 第87回教育実際指導研究会)
- 教科・単元、キーワード
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- 総合的な学習・探究の時間
- 道徳
- 探究力・活用力
- 社会情動的スキル
- てつがく
- 対話的な学び
- 主体性
- コンピテンシー
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- 校種・学年
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- 小学校
- 小4
- 校種間連携
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- 概要
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「自由」について考える際に,避けては通れない事柄は,「自分勝手」との差異をどのように定義するかであろう。全ての関係から解き放たれ,一人ひとりが自分勝手に行動するというのは現実的ではない。ならば,自分勝手と自由は何が違うのだろうか。ルールに従うことや,誰かの指示通りに動くことから解き放たれた状態を「自由」と定義するならば,この世界に「自由」は存在すると言えるのだろうか。スピノザ(1951)は「自由」の反対は「隷属」と主張した。隷属とは,外的・内的な要因に振り回され,自らの理性によって行動できない状態である。スピノザの言う外的・内的な要因とは,他者からの強制や,自身の欲望を含む。そして,「自由」とは「理性と必然性の認識を通じて」隷属から解放されることとし,「自己の本性の必然性のみによって存在し,自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である,あるいは強制されると言われる。」と述べた。このように,スピノザの考えに基づけば,完全な自由は幻想に過ぎず,むしろ他者や欲望に影響されながらも,理性を通じて主体的に行動することこそが,「自由」と呼べるのではないだろうか。では,スピノザが語った「自由」についての哲学的問いを,子どもたちはどのように考えるのだろうか。
これまで,子どもたちは自分たちの興味・関心を出発点にてつがく対話をしてきた。2学期では,「欲望って何?」という問いが生まれ,「欲望はない方がいいの?」→「欲望とわがままって同じ?」→「欲望はどこまで行くとわがままになるの?」→「本当の自分って?」→「家と学校の自分はどっちが本当の自分?」→「自分は何かに従っているの?」と対話してきた。その中で,ある子が「何かをしなさいって言われても,それに納得しているのは自分だから,従っているわけじゃない。」と発言したのが印象的だった。その発言からわかるように,子どもたちは「欲望」を巡るてつがく対話の中で,スピノザの自由と隷属について関わる議論をすでに展開している。さらに注目すべきは,「欲望」という言葉がスピノザの隷属としての意味合いではなく,活動の原動力として用いられていたということである。
このように,子どものてつがくは,哲学の普遍的なテーマについて,哲学史に残る偉人と同じような論に辿り着きながらも,大人の世界に従属することなく独自に探究しながら新しい価値観や視点を創造していく。この点にこそ,学校教育においててつがくすることの意味がある。教師もコミュニティーの一員となり,子どもとともにてつがくしながら「いま−ここ」の中で創造されるてつがくを楽しみたい。
出典:第87回教育実際指導研究会(2024年度)発表要項, p.123. - コンテンツ担当者・著者
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お茶の水女子大学附属小学校 和氣拓巳
- 論文・教材本文
- 第4学年「てつがく創造活動(てつがく)」学習指導案「「自由」―聴く・応える・わかちあう―」(2024年度 第87回教育実際指導研究会)
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